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ホワイトバンドに思うこと

久々の更新である。見ている人がいるか分からないが。

岐阜県T駅近くのファミマに行こうとすると、死んだ魚のような目をしている人間の集団があった。自殺者を無くそうとかいうキャンペーンらしい。そうか、それは良いことだ、俺たちのような憐れな衆生どもを救ってくれ・・・まずは自分たちを救うことから始めることだがな と思いつつ、彼らのビラを突き出す手を避けながらコンビニの中に入った。

コンビニのレジの近くにウワサのホワイトバンドなるものがあった。・・・何の変哲もない太めの白い輪ゴムである。
買ったのかって?
年代ものの盆栽並に歪んだ精神の持ち主である俺が買うわけないじゃん!
ほとんど直感的に“胡散臭さ”を感じてしまった。だって、白いゴム1つでアフリカが救われるわけないじゃん。それで家に帰ってから色々調べてみた。
まずは、ほっとけない世界の貧しさ公式HP
どういうつもりでこのホワイトバンドを出したのか、分かりやすいような分かりにくい(←ここ大事)説明がある。
「ほぉほぉ(゚A゚)」と思いつつ(ホントは「(#゚д゚)ハァ?」だが)、色々と巡ってみた。
次には、ここホワイトバンドの問題点Wikiを見、ちょっとだけニヤ(・∀・)ニヤしてしまった。マジで性格悪いなぁ、俺
あとは隊長殿のブログ2ちゃんのホワイトバンド関連板ホワイトバンドプロジェクト公式ブログの主にコメント欄などを見て今回は思ったことを2つ述べるに留める。

1.説明不足
まず、ホワイトバンドってのは、募金ではなく、貧困解消を旨とした政治活動である。(※政治活動のためにカンパすること自体は何の問題もないと考えている)
そして、やろうとしてることの1つに“債務放棄”があり、日本国民にそれなりのリスクのある事柄である。(日本国民の負担を“微々たるもの”とは書いているが・・・)
結構重要な要素だと思うのだが、どうもこれをきちんと分かるように説明していないように見える。(意図的に分かりにくくしてるかもね

2.知れば知るほど、アフリカのためにならない気がするマジック
アフリカの人に1円も渡らないらしいことには眼を瞑ってあげよう(いや、ホントは良くないが) なにせ、これは政治活動だからだ。問題は、彼らがやろうとしてることがアフリカのためになるのかどうか、である。ここでも大きなポイントは債務帳消しである。
借金の帳消しってのはほとんどの場合、債務放棄する側はもちろんのこと、帳消しにして貰ったほうもマイナスになることが多い。日本史を高校でやった人なら分かるだろうが、要は徳政令のようなものだ。借金を帳消しにして貰った武士や農民たちは、最初は無邪気にも喜んだが、しばらくすると金貸しの貸し渋りに遭い、余計困窮するようになってしまった。
同じこと、とは言わないまでも似たようなことが起こる可能性は高いと思われる。債務帳消しを唱えてる人たちは、果たしてここまで考えてるのかと思ってしまった。考えてないなら、どエライ無責任としか言いようが無い。

援助の質と量云々とも言ってるけど、いくら増やすのかの話はあっても、それを何に使うのかについての具体的な話がない。アフリカを助けるという名目で、日本国民からカネを搾り取り、それを自分たちの活動に充てる、という話にしか聞こえない。


ゾマホンが「魚を欲しがる人には、魚よりも魚の取り方を教えるべし」みたいなことを言っていたが、その通りだと思う。単に借金を帳消しにするよりも、ある程度金利や期限を緩くした上で、返済手段・稼ぎ方を教えてやるのが、最も効果的だと思う。(信用力を付けて、良い条件の借金をするという意味も含めてね)
・・・何よりも最初にエイズと紛争を何とかしないと何も出来ないのだが。

サド関連

久しぶりのエントリである。しばらく書かなかったのは、ネタが枯渇していたからだ。

今回はちょっと前にリクエストがあったので、私が「人類史上最高の作家」だと考えているマルキ=ド=サド(サド侯爵/以下サド)の著作を3点取り上げたい。ちなみに3つとも澁澤龍彦訳である。

1.悪徳の栄え
ジュリエットという女性の物語。同じサドによる「新ジュスティーヌ」(澁澤訳)という作品の主人公がジュリエットの妹である。妹のジュスティーヌは真面目で慎ましい女性で、姉のジュリエットはその正反対である。つまり、ジュリエットは不真面目で冷酷・淫乱、そして己の欲望に正直な女性である。
「新ジュスティーヌ」は、主人公が美徳を重んじるタイプの人間ななせいか、いまいち弾け振りが足りないように見える。そのため「新・ジュスティーヌ」の方は、サド初心者には比較的読みやすい作品だと思われる。それに対して「悪徳の栄え」の主人公は、色々なやばい行為を自ら進んで嬉々として楽しんでいるようなスタンスを取っている。楽しんでいるというよりも唯一の生きがいのようにも見えなくもない。自己の欲望(それは主として性欲なのだが)を満足させるためには手段を選ばない。よって、こちらの作品の方が過激になるのも道理である。剣豪小説で、ある強い武者がさらなる高みを目指して、色々な場所へ旅をして、大勢のつわものと仕合をする―この作品も割りと似たようなものである。剣豪小説が武者修行なら、こちらの作品は「悪人修行」といったところだろうか。

2.食人国旅行記
ある青年とその婚約者が旅行していて、婚約者がある理由ではぐれてしまった。そこで青年は恋人を探すべく、世界を駆け巡る―というものすごくありがちな話である。
正直言って、サドらしくないと言えなくもない作品。タイトルは過激だが、内容はかなり大人しめで、サドなりのユートピア観を綴った作品である。スウィフトの「ガリバー旅行記」と非常に似た要素を持つ。サドの分裂した精神の一端が窺い知れる。

3.ソドム百二十日
私はサドの作品の中で、これが一番好きである。「サド=悪徳の栄え」みたいなイメージがあるようだが、(私自身もサドを読み出す前まではそう考えていた) この「ソドム百二十日」こそサドの最高傑作ではないだろうか。悪徳の栄えを上回る悪徳度、鬼畜度、そして非常に胡散臭くも妙な説得力のある哲学など。
どうやら、これは未完のようだが、もし完成していたら・・・と思うと残念でならない。
ある金持ち貴族が、同じ鬼畜趣味を持つ友人たちを自分の館に招待し、まさに悪徳の神に捧げるような饗宴を開く。美しい少年少女を陵し、彼らが肛門からひり出したものを貪り、バリエーションに富んだ方法で彼らをいたぶるのだ。
内容はかなりのハードコアで、団鬼六の「花と蛇」がまともに見えてくるレベルである。サドの世界観に慣れてからじゃないと、かなりきついものがあると思う。
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